Mr.しょーん

挑戦と失敗から学ぶ 薬大卒 海外在住医学生の色々日記

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田舎から引っ越して良かった件

どうもこんにちは

福岡県生まれ神戸市育ち海外在住のしょーんです :))

東京も1年ほど住んでいました。

 

今回は小学6年生まで福岡にいて中学校がはじまると同時に

神戸に引っ越したときの心境と神戸に住んで気づいたことについてお話します。

 

 

自分の出身は福岡県の太宰府市の近くでとても田舎でした。

どこへ行くにも車は必須な上に見渡す限りの畑と山。

カエルが苦手な自分にとっては登下校は死活問題でした。

 

両親がなぜこの土地に住もうと決めたのかは分かりませんが

幼少期を田舎で自然と触れ合いながら過ごせたのは

なんだかんだで良い経験だったと思います。

 

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友達と同じ中学校に進学し

野球に没頭しそんな未来を描いていた少年に

6年生の冬に無情の宣告が言い渡されることになるのです。

 

 

"お父さんの仕事で神戸に行くよ "

 

 

"???"

"それはみんなと一緒の学校に行けないの?"

 

 

一瞬、理解が追いつきませんでしたが

生まれてずっと地域密着で過ごしてきた少年は

小パニックになり大泣きしました。

妹もついでに泣いていました笑

 

 

当たり前のようにいたみんなともう永遠に会えなくなるような気がして

卒業式では子供の成長を喜ぶ父兄の方々と一緒に1人で大号泣していました。

くそぉぉぉぉ、、、死ぬほど親を恨みました笑

 

 

 

そして4月になり未練たらたらで神戸での生活が始まるのです。

神戸もそんなに大きな都市ではないですが田舎とは明らかに違いました。

 

 

入学式。

もちろん誰も知りませんし、

少し人と違って恥ずかしかったので

引っ越してきたのも隠そうと思っていました。

 

ただコミュニケーション自体は好きだったので

いろんな子に喋りかけクラスのヤンチャ代表みたいな子にも

少し喋りかけてみることにしました。

 

 

"なんしよぉーと?"

 

 

何も考えてなかったのでのろのろした福岡の言葉がでてきました。笑

そして彼は

 

 

"おまえなに言っとん!!?"

 

 

"そんな強く言わなくても...."

 

 

速攻で田舎ボーイなのがバレました。笑

そして強烈な関西弁に出会うことになるのです。

田舎ボーイには少しみんなの喋ってる言葉がきつく感じ悲しかったです。

 

 

ただここは若さ。

すぐに友達もできて、すぐに関西弁を使うようになりましたwww

 

 

関西ではどうやら喋りが生命線なようで

 

"おもろい"

 

"喋れる"

 

というのはある意味ステータスなのです。

たぶん関西では顔が良くてもノリが悪かったりおもしろい返しができないと

関東以上にモテないと思います。笑

 

 

そこで最初は喋れなかったものの学級委員長や学年長をして

目立ちながら喋るという特訓を重ねました。

 

それに加えコント集団のようなものを組み

学年集会や近くの小学校でまぁまぁの頻度でコントをしていました。

(絶望的に自分だけお笑いのセンスがなかったので黒歴史ですw)

 

 

とまぁこんな環境で過ごしてきたので

目立つことはより好きになり喋りも気づけばかなり上達していました。

 

 

いまでも本当に感じます。

田舎からの引っ越しは本当にある意味1つの転機だったと。

 

田舎はのどかで心地よく生活できます。

ただどこか保守的な気がします。

その土地以外出てないのにそこで満足しているような。

人それぞれ価値観が違うのでなんとも言えませんが

少なくとも自分は引っ越して良かったです。

 

 

多くのおもしろい人と話すことができ

人生を刺激してくれる人とたくさん出会えました。

 

 

海外にいるのもなんだか

あのときから始まった延長線上のような気がしてならないです

 

 

おとんおかんあの時は恨んでごめん。

 

というお話でした。笑

 

ご拝読ありがとうございました

 

 

 

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